アイルランドのコークで生まれた。熱心な博物標本の収集家となり、探検航海で集められた標本をオークションで購入した。ロンドン・リンネ協会と、ウェルネリアン自然史協会(Wernerian Natural History Society)の会員となり、ロンドンのコレクションやライブラリーを閲覧することができた。個人博物館を多くの収集家が開設した時代で、ドノヴァンも1807年にロンドンに研究所(London Museum and Institute of Natural History)を開設し、数百の鳥類、哺乳類、爬虫類、魚類、軟体動物、昆虫、サンゴ、その他の無脊椎動物の標本や植物標本を展示した。 博物関連の著作で成功し、多くの著書を出版した。著書には"Natural History of British Birds" (1792-97)、 "Natural History of British Insects" (1792 -1813)、"Natural History of British Fishes" (1802-08) や2巻の "Descriptive Excursions through South Wales and Monmouthshire in the Year 1804、 Four Preceding Summers" (1805) や "Beauties of Flora" (London, 1789-90)などがある。またエイブラハム・リーズによって編集された『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』に貝類、昆虫などの記事を書き、図版を作った。また自らのはく植物画の私家版を作成した。 最も有名な著作は、『日本の昆虫の自然史概説』("An Epitome of the Natural History of the Insects of China"、1798年)と『インドの昆虫の自然史概説』("An Epitome of the Natural History of the Insects of India"、1800)、『ニューホランドの昆虫』("Insects of New Holland"、1805)などである。 ドノヴァン自身は海外に採集旅行にでることはなく、ニューホランド (オーストラリア)の昆虫の標本はジョセフ・バンクスやジェームズ・クックの第2回と第3回航海に随行した天文学者、ウィリアム・ベイリー(William Bayly)の収集品であり、植物学者のドルー・ドルーリー(Dru Drury)や他の収集家も加えられた。『オーストラリアの昆虫』はオーストリアの昆虫を扱った最初の著作であった。図版は下書き、エッチング、手彩色のすべて工程を自ら行い、蝶を描いた図版の大部分は珍しい植物とともに描かれた。日本の昆虫に関する著書は、イギリスから清国への初の使節を務めた、ジョージ・マカートニーから標本と資料を入手した。インドの昆虫の標本や資料の入手元は不明であるが、インドの昆虫を扱った最初の博物書となった。 高価な標本の購入や、ドノヴァンに言わせると悪徳出版社との取引によって、またナポレオン戦争の後のイギリスの経済の衰退によって、資金を使い果たし、1817年には博物館を閉鎖し、1818年にはコレクションをオークションにかけることになった。出版は継続したが、財政 本のサイズは写真では把握しずらいので、一緒に写している蛍光ペンとの比較においてご判断くださいませ。
◆商品名◆
宝石のような昆虫図鑑
ドノヴァン『英国昆虫誌』第5/6巻二巻合本
メタリックな手彩色図譜全72点完本/1796初版
◆商品説明◆
エドワード・ドノヴァン
『英国昆虫誌』第5・6巻、二巻合本
ロンドン;1796-1797年刊初版
1792-1813年に全16巻で刊行されたドノヴァン『英国昆虫誌』第5・6巻、二巻合本です。図版番号145-216番、全72葉、すべて別刷り手彩色。完本です。各巻末に分類別・アルファベット順の索引が掲載されています。
写真ではうまく再現できていませんが、緻密な塗り分けとメタリックな光沢は比類ないものです。本物は凄いです!リプリントではありません。
全文はこちらでご確認いただけます。
装丁は刊行当時の背革装。外装の
E.ドノヴァン
19世紀前半に最も活躍したイギリスの図鑑制作家。とくに美しい彩色の手際が評価され、彼の図版は今日インテリアとしても人気がある。科学的用途の図鑑というよりもミニアチュール、ないし動物画集としての意義のほうが高い。その昆虫図譜は蝶の図が美しいので名高い。 (荒俣宏『図鑑の博物誌』より引用)
エドワード・ドノヴァン(Edward Donovan、1768年 - 1837年)) はアイルランド在住のイギリス人(Anglo Irish )の著述家、博物画家、アマチュア動物学者である。多くの博物書を執筆した。
アイルランドのコークで生まれた。熱心な博物標本の収集家となり、探検航海で集められた標本をオークションで購入した。ロンドン・リンネ協会と、ウェルネリアン自然史協会(Wernerian Natural History Society)の会員となり、ロンドンのコレクションやライブラリーを閲覧することができた。個人博物館を多くの収集家が開設した時代で、ドノヴァンも1807年にロンドンに研究所(London Museum and Institute of Natural History)を開設し、数百の鳥類、哺乳類、爬虫類、魚類、軟体動物、昆虫、サンゴ、その他の無脊椎動物の標本や植物標本を展示した。
博物関連の著作で成功し、多くの著書を出版した。著書には"Natural History of British Birds" (1792-97)、 "Natural History of British Insects" (1792 -1813)、"Natural History of British Fishes" (1802-08) や2巻の "Descriptive Excursions through South Wales and Monmouthshire in the Year 1804、 Four Preceding Summers" (1805) や "Beauties of Flora" (London, 1789-90)などがある。またエイブラハム・リーズによって編集された『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』に貝類、昆虫などの記事を書き、図版を作った。また自らのはく植物画の私家版を作成した。
最も有名な著作は、『日本の昆虫の自然史概説』("An Epitome of the Natural History of the Insects of China"、1798年)と『インドの昆虫の自然史概説』("An Epitome of the Natural History of the Insects of India"、1800)、『ニューホランドの昆虫』("Insects of New Holland"、1805)などである。
ドノヴァン自身は海外に採集旅行にでることはなく、ニューホランド (オーストラリア)の昆虫の標本はジョセフ・バンクスやジェームズ・クックの第2回と第3回航海に随行した天文学者、ウィリアム・ベイリー(William Bayly)の収集品であり、植物学者のドルー・ドルーリー(Dru Drury)や他の収集家も加えられた。『オーストラリアの昆虫』はオーストリアの昆虫を扱った最初の著作であった。図版は下書き、エッチング、手彩色のすべて工程を自ら行い、蝶を描いた図版の大部分は珍しい植物とともに描かれた。日本の昆虫に関する著書は、イギリスから清国への初の使節を務めた、ジョージ・マカートニーから標本と資料を入手した。インドの昆虫の標本や資料の入手元は不明であるが、インドの昆虫を扱った最初の博物書となった。
高価な標本の購入や、ドノヴァンに言わせると悪徳出版社との取引によって、またナポレオン戦争の後のイギリスの経済の衰退によって、資金を使い果たし、1817年には博物館を閉鎖し、1818年にはコレクションをオークションにかけることになった。出版は継続したが、財政
本のサイズは写真では把握しずらいので、一緒に写している蛍光ペンとの比較においてご判断くださいませ。
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